「子ども放送局」というきっかけ
二〇一〇年十一月。私は、二日間にわたり、昭島市立つつじヶ丘南小学校の児童十二名と「昭島子ども放送局」を行った。子ども放送局とは、小中学生が自分の住む街を紹介する番組を制作し、地域の魅力を再発見しようというものだ。子供たちが取材、企画、撮影、編集をして、私たち大学生は、子供たちの活動をサポートする。私はプロデューサーとして、この子ども放送局の統括を行った。
今回番組では、昭島市で毎年行われている、昭島市産業まつりをリポートした。今年で六年目になる「昭島子ども放送局」では、過去に何度か昭島市産業まつりを取り上げてきた。そのため「どうやって番組に新鮮さを持たせるか」ということが、大きな課題だった。先生や他のゼミ生にも相談しながら、何日も考えた。そして出した結論は、「子どもの年齢を下げる」というものだった。今まで一緒に活動してきたのは、小学校高学年の子どもが中心だ。そこに小学校三年生の子どもも加えて、一緒に番組を作ろうと考えたのだ。
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それから小学校の先生方と何度も相談を重ねた。子ども放送局のプレゼンテーションや打ち合わせをして、小学三年生の子どもとも一緒に活動できることになった。こうして、六年生八名、三年生四名の合計十二名と行う、子ども放送局が始まった。
撮影当日、子どもたちと初対面した。子どもたちはみんな笑顔で挨拶をしてくれたが、その中に一人、表情が硬い子どもがいた。小学三年生の女の子だった。彼女は撮影前の話し合いでも、みんなの意見を聞いているだけで、自分の考えを発言していなかった。私は、「せっかく参加してくれたのだから、この二日間を彼女のためになるものにしてあげたい」と思い、積極的に彼女に話しかけた。彼女は「撮影を頑張りたいけれど、話すのが苦手なので不安なんです」と言っていた。そこで、私は彼女と一緒に何度も練習して、本番に備えた。
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そして、彼女がリポートする番になった。私は少し不安だったが、カメラを向けると、その心配もすぐに無くなった。彼女は初めてとは思えないほど、上手にリポートしてくれたのだ。「すごく上手だよ」と褒めてあげると、彼女は「やったー!」と嬉しそうにほほ笑んだ。その瞳はキラキラと輝いていた。撮影が終わる頃には、彼女は、仲間のリポートにアドバイスしてあげるようにまでなっていた。彼女を含め、子どもたちは、より良い番組を作ろうと一生懸命だった。その姿を見ていると、私も「子どもたちがあんなに一生懸命なんだから、もっと頑張らなきゃ」と、さらに撮影に力が入った。だんだんみんなの気持ちが一つになっていったような気がした。撮影が終わると、子どもたちから自然と拍手が湧いた。その中で一番大きな拍手をしていたのは、始めは誰よりも自信がなさそうだった、あの女の子だった。他の子に「お疲れさま」と声を掛ける彼女の表情は、達成感に満ち溢れていた。
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撮影から二週間後には、撮った映像を編集した番組の上映会を行った。上映会には、子どもたちの担任の先生や保護者の方々にも来ていただいた。上映中には、笑い声と感嘆の声があがり、最後は教室中が大きな拍手に包まれた。三年生の担任の先生も「三年生でもこんなに上手にリポート出来るなんて、驚きました」と、感動していた。始めは自信がなさそうだったあの女の子は、その様子を誇らしげに見ていた。その姿は、初めて出会った二週間前よりも、一回りも二回りも大きく見えた。
そして別れの時、女の子は私のもとに駆け寄ってきて、満面の笑みでこう言った。「二日間を通して、自分に自信を持てるようになったよ。子ども放送局に参加して本当に良かった。ありがとう」。その言葉に、私は涙を止めることができなかった。子ども放送局が、彼女の成長のきっかけとなった。そして、プロデューサーとして、私がそのきっかけを与えることができた。それが何よりも嬉しかった。それに私も彼女から教えてもらった。あきらめずに何度も挑戦することの大切さ、苦手は乗り越えられるのだということ。小学生をサポートするつもりが、私のほうが、学ばせてもらった二日間だったかもしれない。彼女たちに出会えたことを幸せに思った。
子どもたちは家に向かって歩きながら、何度も後ろを振り返り、手を振ってくれた。「この二日間で得た自信が、彼女たちの心の中でいつまでも生き続けますように」。そう思いながら、夕日に消えていく子どもたちの背中を、私はいつまでも見つめていた。